2月11日(火・祝)は午前中ローラー。21km、157W。
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13日(木)は夜ローラー。15km、155W。
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14日(金)は少し休暇をもらって15:30~左岸経由で八東土手、郡家、29号で戻る。
31.5km。
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15日(土)は午後湖山池を右回り。白兎・かろいち・出合で遠回り。37km。
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16日(日)は午後外。袋川を玉鉾まで遡上。ちょっと高岡を流して、M田工場まえから裏道で環境大へ。あとは29号で帰る。33km。
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18日(火)は夜ローラー。17km、155W。
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このところは断続的に雪。車を掘らないとならないほどは降らないのは助かる。
で、今日も午前中ローラー。24km、151W。
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昼は外食して、その後は仕事がらみで演奏会を観に。
今月はまだ250kmくらいしか走れていない・・・。
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さて、体が何時までバイクやチャリに乗れる状態を保てるかわかんなくなったので、これから数回に分けて日記の番外編、「initialTTの二輪史」をしたためておこうと思う。
(自分へのメモなので当然面白くないのでどうぞ読み飛ばしてください)
<その①:黎明期>
最初は中2の頃、ツレがみせてくれた「週刊プレイボーイ」のバイク特集を読んだことがきっかけのような記憶がある。その頃ブームの原付スポーツに引き寄せられて、バイク屋にカタログをもらいに行って集め、それを眺めて妄想にふけったり。(手元にCB400F,XE50,XL125などのカタログが残ってる)
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でも高校はもちろん3ない運動の真っただ中。たまに河川敷で親父のカブに乗せてもらったりした(時効)。バイク熱は高じてバイク雑誌を買い続けていたが、妄想オンリーで隠れて乗るようなことはしなかった。
代償行為として、チャリ(おんぼろ)で走り回るのが趣味になり、部活は幽霊部員に・・・。高2になり、親にせがんで「ナショナル(この頃はまだパナソニックじゃなかった)、ラスコルサ・スポルティーフ(赤)」を購入。ホイールサイズは27インチで、タイヤ1・1/4インチ。泥除けがついた5×2=10段変速のドロップハンドル車。
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そして仲良しのツレと3人で泊まりのサイクリングに行こうということになり、当時の若者の旅の宿としては定番のYH(ユースホステル)の会員になり4つの宿を予約。
そして高2の夏休みのある日、午前2時頃出発!真っ暗な中海岸線を一路東へ向かい、浜坂あたりで夜が明け始めた。その後も平坦だと勝手に思い込んでいた海岸線の道路はひたすらアップダウンで、心折れながらそれでも前に。
16時過ぎには1日目の宿、天橋立YHに到着。140kmくらい。
2日目はパンクや山越えに苦しみ20時過ぎに大阪長居公園YHにたどり着く。
3日目は奈良公園で鹿にTシャツ齧られたあと奈良YH泊。同泊のバイク乗りやどこかの高校のギターマンドリンクラブの女の子と仲良くなったり。
4日目は途中、他のサイクリストと知り合い、一緒に走ったりしながら姫路へ。手柄山YH泊。
ずっといい天気で、暑くて真っ黒に日焼けした。
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今思えばよく親はこんな無謀な旅に文句も言わず送り出してくれたなあ。
でもおかげで、高校時代一番の思い出になった。
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そして地元の大学に入学すると同時に待ちかねた原付免許を取得。そして中古のCB50JX-1(橙)を購入。タイヤはグリップしない、メカニカルディスクブレーキはまるで効かない、加速は悪いのバイクだったが、燃費と最高速は良かった。
もちろん自転車に比べて行動範囲は格段に広がり、いろいろな景色を見せてくれた。
人生最初のバイク転倒は、東浜県境から鳥取向きに下った3つ目の回り込んだ左コーナー。テクニックが全くないのに曲がりこみにびっくりして、ブレーキに触ってコテン。
その後もよく転けて、ひざやひじは擦り傷だらけ。スピード違反でもよく捕まった。
まだこの頃は”コーナリングを楽しむ”という意識は無かったなあ。
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中免編につづく。