23日(日)は恒例の中坊ツレ麻雀。そのあとの昼飯は津ノ井まねきで。
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24日(月・祝振替)は夕ローラー。21kmを152Wで。
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26日(木)は夜ローラー。17kmを149Wで。
2月は286kmと、けがをした時をのぞいて、自転車始めてからの最低記録。まあハートブレイクにつながらないようぼちぼち行くしかない。
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27日(金)に自分も可愛がってもらった妻の叔母が亡くなり、28日は通夜、29日が葬儀だった。
いとこの夫さんと馬が合い仲良くしているし、我が子といとこ夫婦の子供たちも仲良し。方々に散っているみんなが久しぶりに集まって思い出話に花を咲かせた。おばちゃんありがとうね。安らかに・・。
<二輪史その② 大学時代後半~結婚まで>
大学2年のとき中免を取って、2台目の愛車は「ヤマハXT200」。購入時にRZ125と迷ったが、高速にも乗りたい&オフにも少し興味があったのでこいつにした。やはりあちこち走り回ったが、乗り易かったと思う他にあまり記憶がない。
大学3年になって、世のバイクブームはピークに達した感。大学の駐輪場にはバイクがあふれて、まんが「バリバリ伝説」の影響で峠にはたくさんの人が。
おいらもブームに乗って「ホンダVT250F(初期型・白)」を購入し峠通い。峠で転けたことは無かったが、16インチの前輪は切れ込む傾向があり、雨や土でころりと転けて特徴的なメーターバイザー(ミニカウル)はボロボロに。
新しく開店したバイク屋(中村屋さん)の常連となり、いろんな職業のバイク友達も増えて、バイク屋で仲間と駄弁る、走りに行くのが楽しみになった。
ところが1年くらいして、たぶんオイル管理の悪さからエンジンをブローさせてしまった。貧乏学生に買い替えるお金もなく、困っていたらバイク屋の親父っさんがエンジンが生きている事故車を引っ張ってきてくれて、ピットも貸していただきマニュアルと格闘して自分でエンジンを積み替えた。なんとかうまくいって再び走り始める。
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大学の卒業を迎え、(そろそろばらそうおいらの職業)奇跡的に採用試験に受かり高校教師(理科)に。
さすがにおとなしくしようと、バイクは「ヤマハDT125」に買い替え。まだ車の免許を取っていなかったので、通勤は原付スクーターの「ホンダDJ-1(黒黄)」で。生徒につけられたあだ名は「ディージェイ」。安直だなあ。
しかしDT125でもやることはあまり変わらず、やっぱりこっそり峠に。これでオフ車でクネクネを走る楽しさに目覚めた。
教員2年目でやっと自動車学校に通うお金ができて普通免許を取得。しかしまだ車はもたず。
そしてほどなく「ヤマハRZ250R(3型・ゴロワーズブルー)」を購入。
この頃は三朝、小鹿渓の手前を入った「鉛山」のワインディングがにぎわっていて、よく通っていた。ある日バンクさせ過ぎてマフラーを擦りタイヤ荷重が抜けて転倒。
損傷がそうでもなかったのでそのまま続けて走っていたら、ツレに変態呼ばわりされた・・。
こいつには彼女(現妻)を後ろに乗っけていろんなところに行ったなあ。
そして26歳で結婚。
この頃のチャリはブリジストンのクロモリノーサスMTBを足につかっていたくらい。